ガラスをめぐる文学的体験

嫌な予感がした。
傾くお盆。崩れ落ちるグラス。響き渡る破壊音。
ガッシャン――
そんな典型的な音をたてて、ワイングラスが大量に壊れた。
衝撃だった。
その後もしばらく、その音が耳から離れなかった。


グラスって、壊れるんだ


生まれて初めてガラスに接した時、母は「これは壊れやすいよ」「割れたらあぶないからね」といったことを前もって言ったと思う。
それを一生懸命インプットした幼い私は、恐る恐るそのガラスを扱ったんだと思う。
だけど、段々わかってくるじゃない。
そうそう簡単には壊れるもんじゃないってこと。
少々のことじゃ何ともならないってこと。
いつもいつでも「これは壊れるものなんだ」なんて意識してたら、日常の行動に支障をきたすじゃない。
そんなわけで、段々と、麻痺していくんだよね。
初期に抱いていた、畏れ。


忘れていた畏れが一気に覚醒して
しばらく怖くて仕方がなかった
というか、ガラスは「本当に」割れるものなんだということがいまいち信じられず、
何度も何度も反復していたような気がする
しばらくの間、私は「もう一度あのワイングラスを思い切り叩き割りたい」という衝動に苛まれた
もう一度、確かめたい
ガラスが本当に割れるんだということ
どんな風に、どんな音で、どうやって壊れるのか、確かめたかった



***



先日、バイト先でワイングラスの乗ったお盆をひっくり返しました。
忙しくて、バタバタしてて。大人数で団体のお客さんが帰って一息ついた後。疲れとともに、気が緩んでいく自分を抑え切れなくて。
そのままクローズの作業に取り掛かったんだけど、私ダメなんだよね。一個ずつ順番にしなけりゃ気がすまないの。
でも私まだまだ新人だから、それこそ順番とか間違えるわけで。何かの作業中に先輩に呼び止められて、別の作業を頼まれたんだよね。
でもその作業は途中で。それを途中でやめて次に移ったんだけど、前の作業の続きが気になって仕方なかった。
そんな中で引きおこした。ちょうど自信を失くしてた時だったから尚更応えた。


それにしても、多分こーいうのを「文学的体験」って言うんだろうなと思った。
明治の作家たちが細かな感覚や衝撃を執拗に書いているけど、あの気持ちがわかった気がした。
とりあえずこういう形でログしとく。