2chと喪男とジェンダー

2chまとめサイトを欠かさず見ている。
2chという場所は世間ではわかりやすいレッテルを貼られているようなのだが(「匿名」とか「危険」とか「チラ裏」とか言われてんのかな?)、よくわからない。
ただ私は、職人さんと呼ばれる人やガチで議論を交わしている板の存在は初期のウェブ文化とその可能性を象徴するものだと思っているし、見るに耐えない罵詈雑言があふれている板も現在の社会を見る上で欠かせないものだと思う。
「匿名」ということは「正直」であることだと思う。
罵詈雑言があふれるには、それなりの理由がある。
「名前」を背負っていては言えないことが、2chには表出する。今の世の中が抱えるストレスがそこからは見えるような気がしている。
例えば、喪男
つってもそんなに喪には詳しくない。一つだけ、夏の葬列というまとめサイトを見ているだけだ。
だけど、なんというか、自分が時間的・空間的・環境的・そして性別の制約を受けたものの考え方をしているのだとこれほどまでに思い知らされるサイトはなかった。
全然わからない。
同時代的・同世代的環境にある人々がこういう感情を抱いているなんて想像もしたことがなかった。
そこには「女」に対する不平・不満があふれてる。何か彼らなりの論理があるようだというのがわかってきたのは、最近のことだった。


そうして毎日そこを見ていて思うのは、まぁ薄々感じてはいたが、今の世の中で「男」として生きるのは大変なことなんだなと。
フェミに触れていて思うのは、やっぱフェミだとダメだと思うのだ。両性を含有したジェンダー学ではじめて、近代の性別役割分担思想は終わる。
そこに「男」はまだ到達してない。
「男」に求められるものが多すぎるからだ。
「男」が性別的に束縛されている場面が一体どれほどあるだろう?途方もない。
フェミを見てて時々、「それじゃダメなんだよ!」と思うのは、まだ「男は優遇されている」と思っているところだ。
どこをどう見て「優遇」だなんて思うんだ。彼らが受けている精神的・経済的プレッシャーがどんだけあると思ってんだ(働け、稼げ、家族サービスをしろ、趣味の玩具なんか買うな、派手な格好をするな、etc...)。
だからフェミは男に嫌われる。
「女」を無謬とし、「男」こそを断罪するから。
確かにフェミのもたらしたものは大きい。おかげで、「女」はあまり性別を意識せずに生きていけるようになったと思う。
だが、「男」はまだ性別に縛られざるを得ない。「責任」だとかいうとんでもなく重い性別役割分担を背負わされているからだ。
しかも、今の世間は未だ、男が自らそれを投げ出すことを良しとしない。「無責任」にされてしまうから。「女」が「いいよ、やんなくて」と言わなきゃ「ワガママ」であるかのような、まるで自分から止めるのは申し訳ないかのような空気が漂ってる。
しかし、初期のフェミもそうであった筈だと思うのだ。見たことないけど。「女」に期待されてた「役割」を「やってられっか!」と投げ出すには、それだけの社会的圧力を受けたはずなのだ。
そう考えると、フェミやウーマン・リブがある程度の成功を収めたのはとんでもないことなんだなと思う。まぁ、「女」的にはもうそれらの時代は終わったと思ってるんだが。
「男」にはまだそれを担ってくれるムーヴメントがない。
なんでだろうね?
忙しいからかな?
現在の「男」に期待されてる役割が二重三重に阻んでいるのかもしれない。例えばフェミやリヴは「主婦」に与えられた時間やコミュニティ(横の繋がり)を活用することができた。
だけど、現在の「男」が役割を投げ出すには、そのどちらもない。とりあえず毎日稼がなければならない、という束縛にがんじがらめにされている。
しかも稼がなきゃ食っていけないという切実なモチベーションがそこにある。それ以外のことなんて正直手が回らないだろう。
あと、フェミもリヴもアメリカ発だったというのは大きいかもしれない。欧米では「男」のための解放運動が起きにくい精神的土壌が存在しているような気もする。


ある時から、そうだな、第二次性徴がきた頃から、自分たちに対する世間の扱いが変わったな、と変な違和感を抱くようになった。
特に私は女子校で中高六年間を過ごしたので、共学の大学に入った瞬間にそれがいきなりあからさまになった気がする。
それまでは温室で雑草を育てるような女子校にいて、12歳の頃から時を止めていたのであまり気づかなかったし、感じなかった気がする。世間で言われてる「やっぱり女の子は〜」とか「恋をしよう!」とか「モテ」とか「オシャレ」とか、マジうぜぇと思ってた。
だから大学に入ったばかりの頃、「女の子」の荷物を「男の子」が持ってくれたり、ということにやたら反発を感じていた。
違和感はそれだけじゃなくて、もうなんか何もかもが違うんだよね。扱いが。視線から何から、もう存在そのものが「若い女の子」として規定されてしまって、こっちもそれが楽なもんだからそのまま引きずられてきた。
でも多分、それがダメなんだよな。
あたしはよくフェミを主張すんなら「女」が受ける優遇も拒否れよ?と思うんだが、フェミはそこが甘いんだよな。ってオレもだけど。
そして多分、それが喪の怨嗟の原因になっているんだと思う。
でもぶっちゃけ、無理もないと思わね?
「男」でも、喪の言う「イケメン」「チャラ男」「女に都合のいい奴」像に上手く自分を一致させられる連中は、逆に上手いこと性別役割分担を利用してるのかもしんないけど。


ただ昨日読んでて衝撃を受けた言葉があって、それがこれ(※性的表現注意)。

「女を神格化するな、物質として捉えろ。ただのまんこだ、割り切れ!」

あー、神格化してんのか、と。
神格化されちゃってんのオレたち、と。
そう、彼らどうも「女」には「大和撫子」であってほしい様で、性的なものに積極的に関わる「女」を憎悪しているように見えるのですが。
フェミが変えてくれた世の中に育った私たちに言わせれば、あたしらだって人間なんだから性欲ぐらいあったって良くね?、と当たり前のように思ってしまうんですが。
でも確かに、今の世の中が「若い女の子」に向ける羨望の視線は異常。
それが「神格化」を生んでしまうのかなと。


とりあえず、あたしに出来ることは、「若い女の子」に対する優遇を拒否することなんだろう。そこはジェンダーをかじろうとしてる人間として、しなきゃいけないことだと思う。
まぁ社会の中で完璧に遂行するわけにはいかないが、地道に頑張ろうかなとか思うわけです。孤立しそうだけど(笑。
でもそれは、むしろ「女」としての義務だろ!?
そりゃーしんどいけど。でも責任だよな、と思ったりもするわけです。
「男」による「男」のための「解放」なんてものが存在する余地があるとしても、彼らから見て「女」であるあたしには手伝えないしね。周囲の男女に布教することは出来るけど、何より「男」が“はいはい、まんこまんこ”で終わっちゃうだろうし(笑。
しかし、もしもそういうものが成立するとしたら本質的な部分は喪が担うんだろうな。というか、そういう革新的なことは現体制の中でやってける人間には担えないと思う。まず発想そのものがない。


それにしても思うのは、
女を神格化してそうな男子校出身の少年が、そういえば身内にいたなぁ・・・。
一緒にエロゲーやって仲良くしとこ(ぇ。