上野千鶴子『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』

家族を容れるハコ 家族を超えるハコ

家族を容れるハコ 家族を超えるハコ

予想に反して、面白かった。
何気に上野千鶴子の著作を読むのは初だ。間接的には多大な影響を受けているのに。
その発端はこれ↓。
東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ
私がフェミニズムを知ったかぶりする原因がこれ。社会学というものと出会ったのがこれ。学問というものを薄々嗅ぎ取ったのもこれ。


こういう本と出会ったのは久しぶりだ。こういう本が読みたかった。
どういう本かというと、近代を相対的なものと見做し、現在をポストモダンへの移行期と規定している本。
私が日頃は一生懸命に説明しているそれらを当然のように超えて、その上での問題点を論じている。
それでこそ面白い。私が知りたいのはそこなんだ。
軽くついて行けない部分もあったけど、だからこそ勉強するのだし、だからこそ考える。地盤が脆弱では仕方がないが、足元ばかり固めていても仕方がない。
私が今のゼミにいて不安を感じるのはそういうことだ。常に足元について議論しているような気がする。

大学内の「ジェンダーフォーラム」という場所でこの本を借りたのだが、同時に借りた本にこれがある。

母性愛神話の罠

母性愛神話の罠

最初はふうんと思って読み進めていたのだが、同じことばかり言ってるので終盤は段々飽きてきた。
同じことばかり言うのは文献によくあることで、必ずしも悪いことだとは思わないが、如何せん視点が狭いのである。
大日向の主張を――乱暴だが――要約すると「母性は本能ではない。子どもに愛を注いで育ててあげるのは当然のことだが、その多大な負担を母親一人に押し付ければ母親が限界をきたすのも当然のことである」となる。
だが、専業主婦が育児ノイローゼに陥るメカニズムに対する詳察が欠けていて物足りないし、企業社会に対する提言も女性の立場のみを取り入れていて一方的にすぎるように思う。
ここに大日向の限界がある。
つまり、育児をする母親たちの現場と向き合ってきた、対処療法的な視点であるということ。構造的な問題に迫っていないのだ。
だから彼女は気付かない。自分の文章が親たちに「愛情」を強要する結果になっているということ。近代的な「子ども」観に囚われておりそれを客観化できていないということに。
彼女はそれを当然と思っているのだから、気付こうにも気付けないのだろう。

そこへ来ると上野千鶴子は時に「過激」「ラディカル」と言われるだけあって明快なものだ。

家族とは、「家を共同している人びと」という定義以上でも以下でもない(p.16)

私が求めていたのは刷り込まれた固定観念に囚われない、この徹底したニュートラルな思考である。
正直、上野の過激さは私にはわからない。この本でさえ「上野千鶴子の毒舌もおかしい」と評していたひと*1がいたが、読んでいる時は全くそんなことは思わなかった。
フェミニズムは牙を必要とする。相手を思いやってやる余裕も、そんな義務さえない。
そんな世界に、私も慣れてきたのかもしれない。

[社会学][個人史]

この本を読んで私が感じたのは、個人的なことで恐縮だが――私の両親は、住宅についてかなり先見の明があったのではないだろうかということだった。
父は広島市の郊外にマイホームを持つにあたり、「洪水があっても沈まない高さ、地震で倒壊してもテントが張れる土地、食料を得られる庭」を条件としたという。
また、当時は型どおりの間取りしかパターンが無かったものを、自分達の描く家族のライフスタイルに沿って間取りを設計するよう要求した、とこれは母の言である。このことは正にこの本でとりあげられているnLDK(n=家族の数マイナス1)の問題と直結する。
結局そのマイホームに私達が核家族として暮らすことはなかったのでどのようなプランだったのかは不明だが、20年前の彼らは何をヴィジョンに描いていたのだろう。興味のあるところである*2

更に、8年暮らした大阪のマンションも画期的だった。
これは「集合住宅」であるという点で正にこのテキストのトピックたり得るのだが、よくある直方体タイプ*3でも、囲いタイプ*4でもない。
かなり説明し辛いのだが、とにかく画一的なカタチではない。小学生だった私はテトリスのブロックを組み合わせたようだ*5と思っていたのだが、組み合わせたところであんな形にはならないだろう。
真ん中に中庭があるが、それを1号室から4号室までが囲んでおり、5号室と6号室は北側に突き出している。また、それぞれの部屋は思い思いの方向に向かってベランダが突き出しており、各戸ごとのシルエットを形成している*6
私の住んでいた5号室は3LDKで、玄関が廊下と垂直に接している。左に行けば両親の部屋で、右に行けばLD。LDから西側に二つの部屋に通じており、東側はそのままKとなっている。



と、このあと放置。
また続きを書くときが来る、かもしれない。

*1:http://mixi.jp/view_item.pl?id=12239 下から7件目のレビュー「男と女の平均寿命の差は約6年。しかも男は年下の妻を持つ傾向がある。男の年下好きは、妻に自分の介護をさせるための本能的な陰謀だ。とかいい放つあたりぶっとんでてかっこいい。」::そもそも私は、彼女の「決め付け」をあながち「ぶっとんでいる」とも思わない。何故なら、「肉体が規範化されるというのが近代のこわさ(p.147)」と上野が言うように、意図するとしないとに関わらず、男性という存在がそういった志向を担ってきたことは構造的に明らかにされてきたと考えるからだ。

*2:間取りをオリジナルデザインしたとは言え、彼らはnLDKの呪縛からは逃れられていなかったのではないかという気がしている。何故なら、複合家族・二世帯住宅として使用されている現在の「その家」には正に「夫婦の寝室」というものがあり、ダブルベッドが鎮座しているからである。「寝る」という言葉の2つの意味しか果たさないその部屋の様相は、子ども心にも違和感があったように思う。ちなみに、現在は週に2回、父が単身赴任先から帰省する時をのぞいて、ダブルベッドでは母が一人で寝ている。

*3:まっすぐ伸びた廊下に、各住居の扉が一直線に並んでいる

*4:地上階に中庭があり、それをぐるっと囲む形でドアが並んでいる

*5:参照::http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.29.5.882N34.47.22.815&MT=%C2%E7%BA%E5%C9%DC%CB%AD%C3%E6%BB%D4%C5%EC%CB%AD%C3%E6%C4%AE%A3%B6%C3%FA%CC%DC%A3%B1%A3%B7&ZM=12

*6:参照::http://f.hatena.ne.jp/chauchau1987/20060623150542